SELECTIONS

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《原の城》

制作年
1971年
サイズ
197×64×56cm
素材
ブロンズ

作品について

第35回新制作展(1971年)に出品され、翌年第3回中原悌二郎賞を受賞した舟越の代表作。 
1950年、長男の死をきっかけに家族とともに洗礼を受けカトリックの信者となった舟越は、以後、キリスト教に関連する作品を多く制作した。なかでも長崎市西坂に建つ《長崎26殉教者記念像》(1962年除幕、第5回高村光太郎賞)は日本における記念碑彫刻の傑作として不動の評価を得ている。記念像の除幕式に参列した舟越は、その足で島原半島の原城址を訪れた。本作品はその際に舟越が得たヴィジョンに基づき構想が練られ、約10年後に一気に制作された。
島原・天草の乱の最後の舞台となった原城址では多くの武士や農民たちが壮絶な最期を遂げた。舟越はその凄惨な記憶とは裏腹に、嘘のように長閑であった同地の景色の中に、討死したキリシタン武士がよろよろと立ち上がる姿を思い描いたという。現実と幻想の間を浮遊して、目の前から消えてしまうような像にしたかったという作家の言葉通り、埴輪のようにくり抜かれた目と口から内部の暗い空洞が覗く様は、彫刻としての実体を離れ、虚ろに漂うイメージとして存在しているかのようである。像の背面には「寛永十五年如月二十八日原の城本丸にて歿」と陰刻されている。
なお、ブロンズ化された作品の一体目はヴァチカン美術館に所蔵されており、当館所蔵のものはその二体目。長らく舟越のアトリエに置かれていたものである。

作家について

撮影・片山攝三/写真原板所蔵・日本写真保存センター

(1912年-2002年)
戦後日本の具象彫刻を牽引した彫刻家。また、優れたエッセイストとしても知られる。盛岡中学校を病気療養のため休学中に兄より与えられた高村光太郎訳『ロダンの言葉』に感銘を受け、やがて彫刻家の道を志す。1934(昭和9)年、東京美術学校(現・東京芸術大学)彫刻科塑造部に入学。同級生に佐藤忠良、昆野恒、井出則雄らがおり、特に佐藤は生涯にわたって良き友人、ライバルとなる。1939(昭和14)年、新制作派協会彫刻部の創立に参加。会員となり、以後生涯にわたり新制作展(当時は新制作派協会展)に出品。1950年、長男の死去を契機に家族で洗礼を受けクリスチャンとなる。1967年、東京芸術大学教授に就任(80年退官、86年名誉教授)。1981年、多摩美術大学教授に就任(83年退官)。1987年に脳梗塞で倒れ右半身不随となるも入院中から左手によるデッサンを試み、翌年からは左手による彫刻制作を開始。2002年、日本二十六聖人の殉教日にあたる2月5日に多臓器不全のため死去。長崎に縁の深い主題を持つ《長崎26殉教者記念像》(1962年)、《原の城》(1971年)は舟越の代表作として名高い。主な受賞等に第5回高村光太郎賞(1962年)、第3回中原悌二郎賞(1972年)、第31回日本エッセイストクラブ賞(1983年)、文化功労者(1999年)ほか。

授業案

彫刻作品にみるキリシタンの歴史

<ねらい>
舟越保武の彫刻作品《原の城》の鑑賞を通して、作品が訴えかけてくる作家の意図や心情を読み取り、素材や制作過程など立体作品の特徴を知る。また長崎の地で実際に起こったキリシタン弾圧や宗教一揆の史実について鑑賞活動を通して理解する。

活用事例

学校名:
波佐見町立 中央小学校
プログラム名:
「彫刻作品にみるキリシタンの歴史」
授業実施日:
2023年11月29日(水)(45分間×2回)
対象(学年)・人数:
5年生 計65名
教科・科目:
図画工作科
学校名:
波佐見町立 東小学校
プログラム名:
「彫刻作品にみるキリシタンの歴史」
授業実施日:
2023年11月29日(水)(45分間)
対象(学年)・人数:
5年生 計26名
教科・科目:
図画工作科

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