SELECTIONS

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©Shomei Tomatsu-INTERFACE

《山口仙ニさん》

制作年
1998年
サイズ
35.6×26.5cm
素材
インクジェットプリント
撮影地
長崎市平野町原爆資料館

作品について

1945年8月9日、14歳の山口仙二は爆心地から1.2キロメートル離れた学徒動員先の三菱兵器製作所で被爆した。大やけどを負い、顔から胸にかけて大きなケロイドが残った。1955年、第1回原水爆禁止世界大会をきっかけに、山口は次第に反核・平和運動に身を投ずるようになる。そして1982年にニューヨークで開かれた第2回国際連合軍縮特別総会の場において、NGO(非政府組織)を代表して演説をする機会を得た。山口は自らのケロイドの写真を示しながら、「ノーモア ヒロシマ、ノーモア ナガサキ、ノーモア ウォー、ノーモア ヒバクシャ」で演説を締めくくった。その後は晩年に至るまで語り部として平和教育にも携わった。
東松照明は1962年から山口を被写体とするようになる。強い光と影によって露わとなった山口の突っ張ったケロイドの写真は、長崎シリーズの代表作といってよい。東松はそれ以降も40年以上にわたり山口を被写体として撮影し続けた。本作は1998年に長崎原爆資料館で撮影されたものである。背景には千羽鶴とともに、1962年に山口を写した作品2点が置かれている。はにかんだような表情のなかにも、命を懸けて反戦を訴え続けた山口の壮絶な人生が潜んでいる。東松はまるで伴走者のように、被爆者たちの現在をとらえたのである。

作家について

©Shomei TomatsuーINTERFACE

(1930年-2012年)
戦後日本を代表する写真家のひとり。岩波写真文庫をへてフリーランスとして活躍。1959年には、奈良原一高らとセルフエージェンシーVIVOを設立。1961年に長崎を取材し、土門拳らとの共著『hiroshima-nagasaki document 1961』を刊行。同書で第5回日本写真批評家協会作家賞を受賞。1972年に沖縄に移住し、沖縄の島々に東南アジアでの撮影も交えた『太陽の鉛筆』(1976年)を発表。同書で毎日芸術賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞。1974年には荒木経惟、森山大道らとWORKSHOP写真学校を開校。1992年にメトロポリタン美術館にて、1996年には東京国立近代美術館フィルムセンターにて個展開催。1999年に東京都写真美術館にて回顧展「日本クロニクル」開催。2000年に「長崎マンダラ」展(長崎県立美術博物館)を開催以降、「沖縄マンダラ展」(浦添市立美術館)、「京まんだら展」(京都国立近代美術館)、「愛知曼荼羅展」(愛知県美術館)、「東京曼荼羅展」(東京都写真美術館)と、日本曼荼羅シリーズを各地で開催した。また、2004年より2007年にかけて回顧展「Skin of the Nation」が、アメリカ、ヨーロッパ各地を巡回。1998年より長崎に移住(~2010)。2009年には2度目の長崎をテーマとした回顧展「東松照明展―色相と肌触り 長崎―」(長崎県美術館)を開催した。2012年12月、那覇市にて永眠(享年82)。

活用事例

学校名:
五島市立 久賀中学校
プログラム名:
「写真から生まれるストーリー~戦後の長崎をつむぐ~」
授業実施日:
2023年12月13日(水)(50分間×2コマ)
対象(学年)・人数:
1~3年生 計7名
教科・科目:
美術科
学校名:
長崎外国語大学
プログラム名:
「写真から生まれるストーリー~戦後の長崎をつむぐ~」
授業実施日:
2024年1月9日(火)(120分間)
対象(学年)・人数:
1~4年生 計20名
教科・科目:
音楽教育

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