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〈戦争の惨禍〉第2番
《理由があろうとなかろうと》
作品について
〈戦争の惨禍〉は、首席宮廷画家としてスペイン画壇の頂点に君臨していたゴヤが、1808年に勃発した対フランス独立戦争を契機に取り組んだ銅版画集。この戦争は、1807年のフォンテーヌブロー条約——当時の英仏の対立を背景にポルトガルの占領を進めるナポレオン・ボナパルトがスペイン側と秘密裡に締結した——に基づき、フランス軍がスペイン内で駐留したことに端を発する。ナポレオンは機に乗じてスペインの要衝を占領した一方、マドリードではこれに反発するかたちで1808年5月2日に暴動が起こり、両国は戦争状態に陥った。戦禍はスペイン全土に拡大し、正規兵のみならず民衆も戦闘に巻き込むなかで国土は疲弊していくこととなる。ゴヤは同年10月にスペイン軍の命を受け、戦争の惨状を記録するために激戦地サラゴサに赴いた。それを一つの要因として、遅くとも1810年には〈戦争の惨禍〉の制作に着手していたといわれる。
この版画集は全82枚で、内容は主題に応じた3部構成である。2-47番では、ゴヤ自身が戦禍の目撃者となった対フランス独立戦争における戦闘や処刑などの凄惨な場面が並ぶ。続く48-64番は戦時下で都市部を襲い、多くの犠牲を出した飢饉に取材した場面からなっている。65番以降は、戦争の終結を受けて1814年に即位したフェルナンド7世が敷いた時代遅れの専制君主制や腐敗した政治状況を非難する寓意的なイメージによる版画群である——人間だけでなく動物や怪物も多数登場しており、様々な解釈が試みられてきた。そのため制作年代としては現在、1810-15年頃と目されている。
戦禍や飢饉に取材した版画群はスペインとフランスの両国どちらにも与することなく、戦争がもたらした過酷な社会状況を克明に伝えている。そしてゴヤは〈戦争の惨禍〉にて、名の知られた人物を表すことを避け、敵味方関係なく不特定の人々を描くように努めている。この版画集の多くの場面で犠牲となっているのは第一に、名もなき民衆なのだ。こうした匿名あるいは不特定の要素に貫かれていることで、各作品の表現内容は具体的な歴史的事象に収斂することなく、今なお私たちに戦争の諸相に関する普遍的なメッセージを投げかけているのである。
〈戦争の惨禍〉はゴヤの生前に刊行されず、初版の出版までには画家の死没から35年の歳月を待つこととなった。長崎県美術館は1863年に刷られた初版全80枚を所蔵している。なお、初版に含まれなかった2枚は後に発見され、1958年に初めて刷られた。
作家について
フランシスコ・デ・ゴヤ (1746年-1828年)
1746年、スペインのアラゴン地方の村フエンデトードスに生まれる。13歳の頃、サラゴサの工房へ弟子入りし、本格的に画家の道を志すようになる。20代前半にイタリアへ私費留学すると、パルマのアカデミーで開催されたコンクールで入選を果たし、帰国後に頭角を現した。1775年にマドリードへ移住してからは王室のタピスリーのための原画制作を手がけるなど次第に宮廷との距離を縮め、1780年代には肖像画家として数多くの上流貴族から注文を受けるようになった。1789年に念願の宮廷画家に任命されると出世街道を邁進し、その10年後にはスペイン画壇の頂点である首席宮廷画家の地位に就く。
一方、この栄達の傍ら、1793年には熱病により聴覚を失った。この頃から日常的に素描に取り組むなど、自身の「奇想」と「創意」に基づいた、より私的かつ省察的な作品を多く手掛けるようになっていく。とりわけ銅版画集はこの類の制作活動の結晶と見なされる。啓蒙主義的な観点から、迷信や誤った慣習への痛烈な批判が展開される〈ロス・カプリーチョス〉、対フランス独立戦争における戦禍や悲劇を普遍的に伝える〈戦争の惨禍〉、闘牛の持つ光と影の両面を描き出した〈闘牛技〉、解釈の多様性に開かれた謎多きイメージから構成される〈妄〉などに表された豊饒かつ革新的な創造世界は今日においても決して色褪せることはない。
1828年にボルドーで客死するまで精力的に制作を続け、その多岐にわたる表現は最晩年に至るまで深まりを見せた。〈ロス・カプリーチョス〉をはじめとして、彼の芸術は既に1820年代にはウジェーヌ・ドラクロワらフランスのロマン主義作家たちから高い評価を受けていた。その後1830年代にはスペインでも熱心な追随者を生むなど、後世の芸術家たちへも多大な影響を残している。
授業案
『ゴヤが版画に残したメッセージ』
<ねらい>
ゴヤの版画集「戦争の惨禍」の鑑賞を通して、ゴヤが戦争による暴力や狂気、飢饉、犠牲をどのように捉え、作品に表したのかを考える。200年経過しても変わらず戦争が繰り返され、負の連鎖を断ち切れない今、平和とは何かを考える一助とする。